無頓着な松のショートエッセイ

いろんなことに無頓着な著者が、なんとなく思ったことをエッセイ風に書き連ねる雑記ブログです。何か感じるところがあったりしたら嬉しいですが、気軽に読んでもらったらと思います。


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白内障って何だ!?

眼鏡が合わなくなったので、レンズを新調するために眼鏡屋に行こうと思っていた。ただ、確かに物が見えにくいんだけど、これまでの見えにくさと違って、左目がかすむのが気になったので、眼鏡屋に行く前に眼科に行くことにした。そこで視力検査とかしたのだが、左目はやはりどんなレンズをつけても見えるようにはならない。診察の結果、果たして白内障であり、要手術ということになった。大変なことになったと思いつつ、原因が分かって良かったという気持ちもある。ということで、白内障についていろいろ調べてみたので、せっかくなのでシェアしたいと思います。

白内障とは?

白内障とは、目の中の水晶体が濁る病気です。目に入った光は水晶体を通って神経に入るため、水晶体が濁ったら当然視界も濁って見えます。なので、外からいくらレンズを入れても意味が無いわけです。このような病気なので、放置して進行させると、失明とは言わなくても、生活に大きな支障が出ることは言うまでもありません。

水晶体はココ。高知市旭地区の脳神経外科小児科眼科内科 | もみのき病院様のサイトより画像を拝借いたしました。

白内障の原因

まず一番多いのが加齢だそうです。やはり加齢に伴っていろいろ不具合が出てくるもんですね。とはいっても私はまだ43歳なのだが…まあ40代やもっと若い段階でも発症するケースは割とあるみたいですね。その他、アトピー性の白内障や薬の副作用、糖尿病の症状としても出てくることがあるそうです。また、外傷によっても白内障になるケースがあります。

白内障の治療法

生活に支障が出ていない段階では、それ以上進行させないための点眼薬での治療が主となります。生活に支障が出る程度に進行してしまったら(私の場合)、手術となります。手術では、水晶体を取り出して、人工的な水晶体に入れ替えるということを行います。手術自体は10分程度で終わるので、日帰り手術ということになりますね。

手術費用

手術費用は3割負担で6~7万円程度、また自由診療で高性能の人工水晶体を入れるとなると、数十万円するそうです。ちなみに、私の場合医療保険の給付の対象になるとのことで、たいそう胸をなで下ろしました。

白内障の予防

白内障は上で見たように加齢や怪我などが主原因なので、予防方法といっても難しいのですが、糖尿病などの生活習慣病を予防することはリスク低減方法の一つです。この手の生活習慣病にかかると、結構合併症として現れることも多いみたいなので。あとは、強い赤外線や紫外線を避けるのが良いそうです。

以上、つらつら調べて書き連ねてみましたが、大事な目のことですから、ちょっと異常を感じたらすぐに受診しておいて損は無いと思いました!白内障を治さずに眼鏡屋に行っても、合う眼鏡なんて見つからないですからね。

 

自分を主人公に

あるときネットで、お笑いコンビオードリーの若林正恭さんのインタビューを見る機会があった。なんでもエッセイの本を出すにあたってのインタビューだったそうで、その内容に関連したことを話していた。そこで若林さんは、これまでは「中高生のとき、文化祭とかでステージではしゃいでいる人たちをベランダの隅からバカにしてきた」というような人生を送っていたのだが、実際に楽しんでみないと楽しさは分からないし、損だと思うようになってきたというような発言をしている。
 
まあそれは分かるというか、それほど珍しい話でもないような気がするのだが、何を思ったって、自分の気持ちがどのように変わっていったのかを明確に把握して、それを分かりやすい言葉にできるというのは、すごいなあ、自分にはできるかなあ、ということ。自分だって生きていくにつれ心境の変化なんかはもちろんある。でも、どこがどのように変わったのかなんて全然気にしてなかった。しかも、それを読む人に分かりやすく言葉で説明するというのはさらに難しそうだ。
 
やっぱり自分で作ったものを表現する仕事だから、普段から仕事によってそういう訓練がなされているのか、それとも職業は関係なくその人の資質によるものなのか、そこらへんはよく分からないけど、エッセイを書くには非常に役に立つ能力だよなあとうらやましくなった次第です。こちとら読書感想文も苦手だったからなあ。というか、あれは、思ってもないことを書かないといけなかったから苦手だったんだけど。だって読んでて思ったことなんて、「読みたくもないものを読まされる苦痛」しかなかったわけで。
 
閑話休題。私もこうやってエッセイもどきを書いているわけだけれども、やっぱりおもしろいものを書きたいわけで、そのためには、もっと自分の心の動きを覗いていかないといけないのかな、と思った。今は日記をつけているけれど、どちらかというと、あったことを淡々と書き連ねる感じであった。それでも悪くはないんだけど、もっと自分を主人公にしてやった方が、自分が後で読んでも面白くなるし、エッセイとして皆さんにおすそ分けできることも充実するのかな、と思った。まずは楽しい日記を書いてみよう。文章長くなるので、作業量としては大変になりますけどね…

ブロトピ:ブログ更新しました♪

過疎地にて(追記予定)

この夏、お盆とは少しずれた時期に夏休みを取り、5年ぶりに九州の田舎に帰省した。妻曰く、「田んぼと川と山しかない(から大好き)」田舎への久しぶりの帰省をし、3泊4日過ごすうちに、大きく考えるところがあった。
 
それは、「ありのまま、自然体」でいたい、と強く思うようになったことである。見栄というか、自分の中のギスギスしたものが、綺麗さっぱり吹っ飛んだ。人を言い負かしたからなんだ、有能と思われたからなんだ、誰が馬鹿だからなんだ、そんなことが一切どうでも良くなった、ネットなんかで誰が何を言っていようとまったくどうでもいい、論争なんて知ったことじゃない。そういう風に心から思えるようになった。実際に温かい人と人との繋がりがあるんだもん。それでいいじゃないか。人より偉かろうが無能だろうが、どうでもいいのだ。
 
といっても、何もかもを捨てて世捨て人みたいになったのかというとそういうわけでもなく、知的好奇心はまだまだ旺盛である。また、将来的に実家に帰りたいと思っているのだが、そうすると、今のスキルを活かせる仕事なんてそうそう無いわけだから、仕事やお金儲けにギラギラしなくなったかというとむしろ逆で、考えがシビアになっている(と言っても、しっかりとした生活の基盤ができれば、それ以上はそんなに多くを望まないけど)。そうやってしっかり食っていける前提の中で、ただ朴訥と生きていきたい。そんな風に思った。

40代の悩み?

ある日世間話をしていたら、バブルの頃はゴルフやらスキーやらみんなやってたよねーという話になり、うんうんと相槌を打っていたのだが、バブルの頃私はまだ貧乏学生だったのでどちらも全くやっていなかった。だけど、テレビなどで見聞きするに、そういうのが流行っているらしい、という認識はあった。


ただ一時期ほど騒がれなくなったとはいえ、ゴルフもスキーもそれなりに人気はあるようで、会社での雑談でよく話題になっていた。私も社会人になり、やろうと思えばできる環境にはなったのだが、あまりやりたいとは思わない、というか、どちらも結構お金がかかるので、そんな出費をしてまで、というのが正直なところである。


ただ、時々スキーはやってみたいと思うことがある。妻が昔スノボをよくやっていたということで、その時の話を聞くと、確かに旅情もあるし、温泉に入ったりといったことも含めて楽しむ旅行と捉えれば、それは楽しいなと思うようになった。


そもそもスキーはこれまでに2度しかやったことがない。1度目は高校の修学旅行、2度目は新入社員時代の慰安旅行であり、たった2度の経験な上にブランクが20年という縁の遠さであるため、今からやりたいと言ってもまともに楽しめるか非常に不安なのである。妻もブランク長いので、行くときは一緒にスクールに入って練習しようと言っているが、それでもどれだけできるか…


高校生の時も、新入社員の時も、1日かけてなんとか少しは滑れるようにはなったのだが、なんせ今は当時のように若くない。スポーツは定常的にやっているとはいえ、昔より怪我をしやすくなったりガタが来ている。こないだも生まれて初めての肉離れを経験したばかりだ。やっぱり怖気づいてしまうのである。


とはいえ、歳をとったから何もかも諦めてどんどん枯れていくというのもあまりに不毛である。定年後にジョギングを始めて、今やフルマラソンの常連という人だって沢山いる。40代なんてまだまだこれからなんでもできる、という気持ちもあるし、色々なことに対する好奇心もある。でもやっぱり金銭的健康的体力的なリスクを考えると〜、などと思いは揺れるのである。40代とはそういうお年頃なのかもしれないな、なんて思うのであった。


橘いずみ(現・榊いずみ)さんは、楽曲「ズレテル」で、「八十になっても悩んでるなんて、おじいちゃんそんな事言わないで」と歌ったが、きっと、どの年代でもそれなりに固有の悩みがあるのかなー、と思った。みなさんどうですか?悩んでますか?

GW日帰り旅行~静岡県掛川市

ゴールデンウィークが終わりました。今日から改めて出勤になるわけですが、割と心身ともにリフレッシュできて、前向きな気持ちで仕事に向き合うことができています。こういう気持ちを実感すると、特に大きなイベントがなくても、やっぱり長い連休というのはそれなりの意義というものがあるもんだなあとしみじみ感じたりしました。
 
 
なんてことを言いながら、今回の連休では一日だけ日帰り旅行に行ってきました。行った先は静岡県掛川市。その時の様子などを書き連ねてみようと思います。
 
 
まず今回の旅行の目玉は掛川花鳥園。ご存知の方も多いと思いますが、その名の通り花と鳥のテーマパーク(?)。鳥の餌やりもできて、餌を求めた小鳥が飛んできて自分の頭や手に止まる、というのが人気。我々ももちろんそれを求めて行ったわけである。そして、妻が行きたいと言っていたのがいちご狩り。どうやら妻には今フルーツブームが来ているようで、この前もパッションフルーツを買ってきました。結構おいしかったです。この二つをテーマにした旅行でした。
 
 
さて、花鳥園で鳥たちと戯れるためには、鳥たちが、餌を食べたいときに餌を持って行ってやる必要があります。そのタイミングはすなわち開園直後。ということで、新幹線も東京発が朝6時台の列車をチョイス。その結果、当日の起床は朝4時半ということになりました。
 
 
新幹線でしっかり睡眠を取り(寝過ごさなくてよかった…)、掛川駅カーシェアリングの車に乗って、いざ花鳥園へ。と思ったら、すでに園の前は車の列。ようやく車を駐められたと思ったら、入り口の前は長蛇の列。9時開園とばかり思っていたら、8時開園だったとのこと。ああ、ちゃんと調べておくんだった…
 
 
それでも幸い割と順調に列は流れ、それほど待たずに入場。しかし残念ながら鳥たちはもうお腹いっぱいのようで、あまり濃密なコミュニケーションはできませんでした。とはいえ、鳥同士の微笑ましい羽繕いの様子などを見ることができて、それはそれで楽しかったです。個人的には大好きなオオハシをゆっくり見ることができて大満足!

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餌を食べるコガネメキシコインコ

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オオハシ大好き
それからちょっと早いが昼食をと思い、静岡といえばこれ!と勝手に思っている洋食店「さわやか」に。しかしここも人でいっぱいで、車を止めることもできない。別の店舗に行くも状況は同じ。花鳥園といいさわやかといい、ゴールデンウィークに有名どころになんか行くもんじゃないなと軽く絶望。仕方ないので予定変更して、ラーメン屋で昼食。しかしこのラーメンが美味しく、非常に救われました。
 
 
それから一路車を南に走らせていちご狩りへ。その前に大浜公園という景色の良い公園があるそうなのでそちらに寄ってみることに。山中の道はガードレールもなく溝がむき出しになっている怖いところもあったけど、無事景色を楽しむことができました。風が強くてちょっともやってたのが残念。桜の名所でもあるということで、そのころに来るともっと良いかもしれません。
 

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大浜公園より太平洋を望む
 
そして、予約していたいちご農園へ。今回お世話になるのは鈴木農園さんです。しかし、ナビに「鈴木農園」を指定してその通りに走っていたら、明らかに市街地に戻っていく。どうやら鈴木農園違いだったようです。そんな感じで行ったり来たりしているうちに土地勘も出てきて、地図をチェックしただけでもう行けるようになっちゃいました。海が近くなると、風力発電の風車?が沢山見えてきました。
 
そうやって苦労しながらもついにいちごにありついた一行。料金を支払い、指定されたハウスでいちごを摘んで口に運んでみる。

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めちゃくちゃ甘いいちごです!
 
うまい、甘い!!!!
 
正直、こんなに甘いいちご、食べたことない!一応入場時に練乳をくれたのですが、なくても全然甘いんです!味覚が子供の私、あまり酸味が強くなくて甘いのが好きなんですが、その好みにピッタリ!妻は大人ですがそれでもおいしかったらしく、相当食べました。ドライブでの腹ごなしが無意味になるくらい。ホント、限界まで食べたくなるほど美味しかったんです。これ絶対おすすめです!
 
 
限界までいちごを堪能した後は、車で来た道を戻り、掛川駅から新幹線で帰途に就いた
わけでありますが、帰りに普通に夕食(とお酒)をいただいた我々の胃袋はすごいと思いました。
 
 
まとめますと、人気のスポットは行く時期を考慮すべし、あと、いちご狩りは、車必須だけど絶対おすすめ!ということであります。たぶんいちご狩りに限らず、果物狩りは、農家の皆さん全力で美味しくなるよう取り組んでいると思いますので、突撃を強くお勧めします。我々も今後はこの手のものには全力で食いついていこうと思った次第であります。

私の料理道

ここ二年ほど、家で料理を作る機会が増え、最近ではほとんど毎日夕食を作っている。それまでは料理なんてほとんどやったことがなかったのだが、妻の仕事が忙しくなり、これまで以上に家事に寄与しなければとの思いで重い腰を上げた。便利な時代になったもので、インターネットでレシピを検索し、その通りに作れば、多少不細工でもそれなりに食べられるものができる。それどころか、何を作ったらいいか分からないという、逃れられない悩みに対してさえも、「簡単」「レシピ」なんてワードで検索すれば、簡単に作れるメニューのレシピを見ることができる。

 

私も最初は、とにかく簡単で私にでも作れるメニューを探し、緊張して震える手で調味料を大さじで量り、圧力鍋が爆発しないか恐怖に震え、なんとか完成させては必要以上のドヤ顔で食卓に供していた。とにかく料理というタスクをこなす、それだけで精一杯だった。

 

しかし、それこそ便利なレシピのおかげで、こんな私の作った料理でも味はそこそこ良く(派手に焦がしたり、火を通すべきを生で出したりしなかったのは私の功績である)、妻もおいしいおいしいと言って食べてくれた。やっぱり食べてくれた人のポジティブな評価というのはモチベーションをおおきくブーストしてくれるもので、毎日作っているうちに、おそるおそる切っていた野菜もある程度パッと切れるようになるなど手際も向上し、またある程度の技能を要する料理も作れるようになった。

 

自分としては努力しているつもりもなく、ただおいしく食べてほしい、また、飽きないように、栄養が偏らないように、など、家族の一員としての責任と、あと少しのチャレンジ精神でこれまでやってきたわけであるが、最初の頃を思うと随分成長したと感じている。作れる料理のバリエーションが増えたのもそうだが、手際が良くなったのが一番大きく、品数を増やして食卓をより豊かにできるようになったのが一番手応えとして感じるところである。手順を事前(主に駅からの帰り道)にシミュレーションしたり、電子レンジ等使ってコンロ口を同時に使わずにすむようにメニューを考えたり。その分妻の満足度も向上していると自負している。

 

ただ感じるのは、いつまでたってもレシピを検索する側の立場にいて、レシピを投稿する立場には移れない、すなわち、何も見ないでメニューを自分で考えることができない、というのが弱点だと認識している。結局は人真似しかできないのである。まあ料理屋を開くわけでもなし、家での食事だけだからそれでもいいんだけど、この状態である以上、「自分は料理ができる」「料理が得意である」とは口が裂けても言えないのである。

 

とはいえ、最近では、どの食材や調味料がどのような役割を果たしているかということも少しは分かるようになって、この料理にはこの食材を入れてもおいしいんじゃないか、とか、この調味料を切らしちゃった!じゃあこれとこれで代用したら大丈夫じゃない?とか、多少は判断できるようになってきて、基本的にはネットで検索したレシピなんだけど、もう一工夫というか、自分なりのアレンジができるようになってはきているかもしれない。

 

この状態って、修行の過程でよく言われる「守破離」の「破」の段階なのではないか!?と先日思った次第である。これまで「守破離」という言葉は何度も耳にしたことはあったが、自分のこととして向き合ったことはなかった。そうか、そういうことなのか。上にも書いたように、特に先を見て「守」をやっていた訳じゃない。そしたら、このまま「破」を続けていけば、知らないうちに「離」の段階、すなわち一丁前に「料理できる」と名乗れる段階にまで行けるかもしれないということか。これまで、どうやったら自分でオリジナル料理とか考えられるようになるんだろうと思っていたが、その道がこの先にある可能性がある、と思えただけで、またモチベーションが上がった。これからもひたすらにおいしいものを作っていこう。

 

と言っても、仮にそうなっても料理屋は開きませんよ(笑)

 

参考:守破離 - Wikipedia

 

ブロトピ:今日のブログ更新

痛めた親指と私のスポーツ

指をポキポキ鳴らす癖がある。指だけじゃなくて、手首とか肩とか首とか腰とか背中とか、そこら中の関節を鳴らすことができる。もちろんすべての指を鳴らすのだが、1本だけ鳴らない指がある。それは、右手の親指。昔は鳴っていたのであるが、高校生の時、昼休みにバスケをやっていて突き指をした。それ以来、右手の親指は鳴らなくなってしまった。というか、痛くて鳴らせなくなってしまった。あれから20年余。今でも鳴らない。鳴らないというだけで、日常生活には全く支障はないんだけれども。捻挫や突き指の類はいつまでも影響が残り、程度によっては下手したら骨折より厄介とも言われる。それも納得できる。しかし昼休みにバスケなんてほとんどやったことないのに、なんでまたその時に限ってやってたんだろう。20年以上も、おそらく一生残る怪我をすることも知らずに。

今は知らないけれど、当時のわが校のスポーツと言えばバレーボールです。球技大会でも花形だったし、どのクラスもとても鍛えられていて、素人とは思えないレベルの高い大会だった。自分は経験もないし、背も高くないし、運動がすごく得意というわけでもなかったので、活躍するとまではいかなかったけど、一生懸命練習して、なんとかあんまり足を引っ張らないくらいにはできるようになった。あの時の燃えっぷりは今でも忘れられない。淡々とした高校生活だったけど、数少ない青春らしい思い出です。活躍はしてないからモテはしなかったけれども。

ということで、スポーツでは怪我をすることはあっても、好結果を出したり異性にモテたりといったことは一切無かった。でも、人には認められなくても、これまでできなかったことが練習によってできるようになる、これまで見えなかった世界が見えるようになる、というのはかけがえのない経験で、大学では運動部に入って日々汗を流した。大学では強い指導者という存在がいなかったため、自律が求められた。というか、適当にやるなら適当にやっても誰も咎めない。ただ結果が出ないだけ、という環境の中、自分なりに課題を見つけてそれを克服できるよう練習する、という機会に恵まれた。

それでも目立った成績は挙げていないわけだけど、スポーツを通じてそれなりに得るものはあったのかなと思っている。漫然と日々を送りがちな自分に発破をかける材料だったり、ふとした時に浸れる美化された思い出の材料だったり。もちろん、同じような経験は人によって異なるものから得られるもので、私はたまたまスポーツから得られたというだけなので、みんなスポーツやれなんてことは言わない。ただただ、誰にも文句を言わせずに自ら励むのみである。しかし、もう齢四十を過ぎ、怪我のリスクは高校時代の比ではない。つい先日も肉離れを起こした。そこだけは自覚して、しっかり準備をしてからプレイするようにしよう。