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無頓着な松のショートエッセイ

いろんなことに無頓着な著者が、なんとなく思ったことをエッセイ風に書き連ねる雑記ブログです。何か感じるところがあったりしたら嬉しいですが、気軽に読んでもらったらと思います。


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部屋に入れない!

昨日の夕方、私の住んでるところでは急に雨が降り出し、とても寒くなりました。そんなときに限って私は原付に乗って出かけており、ずぶぬれで凍えておりました。なんとか用事を終えて帰宅し、原付を置いてそのまま食事に出かけ、帰ってきたらとんでもないことになっていました。

なんと、玄関ドアを開けようとしても鍵が回らないのです。鍵も合ってます。ここ自分の家だよなと何度も確認しました。階数も確認しました。合ってます。でも、まるで別の部屋に侵入しようとしてるのかってくらい、鍵が回らないのです。

これまでもそういうことは実はありました。でもそんなときは、鍵を裏返しにしたら開いていたんです。でも今回はそれでもダメ。鍵を奥までグーッと押し込んでみたり、ドアノブを回した状態で鍵を回してみたり、色々やってみましたが、ダメ。

それで、スマホでこんなときどうするかを検索してみたところ、こういうことは結構あるようで、大体は鍵や鍵穴に付着した異物が原因だそう。それならと、鍵を服の端で綺麗に拭き、鍵穴は仕方ないので口で息を吹いて異物を吹き出そうとしてみました。それでも鍵は回りません。

他のサイトでは、鍵に鉛筆の芯を塗り付けると、黒鉛が潤滑油の役割を果たして回るようになるという情報もあったので、荷物を覗いてみましたが、残念ながら鉛筆は入ってませんでした。

これは業者を呼ばないといけないのだろうか、こんなお金のない折に、さらに出費がかさむことになるなんて、なんて運が悪いんだろうかと嘆きつつも、やっぱり自分で何とかしたいと、気がつけば30分以上一人でガチャガチャしていました。人に見つかったら、絶対泥棒と思われます(もちろん泥棒じゃないので、堂々と申し開きできますが)。

こんな時に限って寒いです。雨は止んでいましたが、気温は相変わらず低く、体温と体力と気力を奪っていきます。かなり泣きが入ってきたとき、ちょっとだけ鍵を上に傾け気味でガチャガチャやったら、

 

 

カチャッ

 

 

開いた!開いた!開いたよ!やっと開いた!

体中の力が抜けました。すかさずドアを開けて入室しました。あとでドアを開けた状態でガチャガチャやってみたんですが、ちゃんと回る。なんであの時だけ回らなかったのか分からないのですが、とにかく助かりました。その後の風呂の温かさと、布団の気持ちよさは格別でした。

今回調べたところから、鍵は劣化して回らなくなったり刺さらなくなったり抜けなくなったりしうること、その解消に鉛筆が有効なことを学びました。そのため、鍵穴はどうしようもないのですが、部屋にいくつかあるスペアキーを一つ、普段使いの鍵と別に携帯すること、そして、鉛筆を荷物に入れておくことを、今後の対策として講じました。

しかしホント心細かったです。こんな経験はこりごりです。

カレー放談

SNSで、美味しそうなカレーの投稿を見るのが好きです。もちろん食べるのも。でもいくら好きと言っても、いつもいつもカレーというわけにはいかないので、食べるのはたまににして、いろんな人の投稿を見るようにしています。ご飯にかける欧風?日本風?カレーも好きですし、ナンで食べるような本場のものも好き。とにかくカレーが好きなんです。今住んでいるところの近くに、インドカレー屋さんがあるので、時々食べに行っています。ナンをおかわりしたら、お腹いっぱいになります。

しかし、辛いのが苦手なので、辛さには慎重にならなければなりません。子供の頃、出かけた先のカレー店でカレーを食べたのですが、その時はちょっと背伸びをして、小学生のくせに大辛かなんかを頼んで、大変な目に遭ったことがあります。あれから、こと辛さについては大人ぶるのをやめ、素直に辛いのは苦手ですと言うようになりました。それが身のためだと心底思い知ったので。

なので、食べるカレーは甘口とまでないかな今でも、中辛くらい、外で食べるなら、いわゆる「普通」と言うものがもっぱらです。カレーチェーンで有名なCoCo壱番屋でもいつも「量、辛さは普通で」と注文します(昔は、量については違いましたが)。あと、CoCo壱番屋でもそうですが、カレーはトッピングをいろいろできるのが楽しいですね。普通のカレーでもいいですが、気分次第でトッピングを変えられる店はお気に入りです。

そういうわけですから、自分で作るのも好きです。今のところ、オーソドックスな、ジャガイモ、にんじん、玉ねぎ、肉が入ったものしか作ったことがないですけど、これからいろんな工夫をしていけたら楽しいかなと思いますね。あ、そうだ。レトルトカレーに、業務スーパーで買ったハンバーグを乗せて、ハンバーグカレーにしたりということはあります。

それで、私の作るカレーで特徴的なのは、野菜を小さめに切ること。ごろごろ野菜でもなく、煮崩れて形がなくなっちゃうのでもなく、5ミリ〜1センチ角くらいに切るのが私流のカレーです。なんでと言われたら、母親がそうしていたからとしか言いようがないのですが、自分の中ではこれが一番しっくり来るのです。変わってるでしょ。

そうそう、一度だけ、上記と違うカレーを作ったことがありました。それは、以前6キロ以上ある牛ももの塊肉を捌いたときに取れたスジを使って作った牛すじカレーです。これは、カレールーを使わず、野菜も入れず、スジとカレーフレークと呼ばれるものでひたすら煮込んで作った一品です。ルーを使っていないのでなかなかとろみがつかず、私が作るものにしてはサラサラに出来ましたが、これがまた美味しかったんですよねー。ちなみにこんな感じです。

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実はこのとき捌いた肉がまだ冷凍庫に一部残っているので、今度はビーフカレーを作ろうと、手ぐすねを引いているところです。工夫の一環として、複数のルーを混ぜたりしたらどうかなんて考えていますが、どうなりますでしょうか。

早朝5時。

今私の住んでいるところは東京といっても郊外なので、比較的静かです。一つずれた所の通りにちょっと飲み屋街があって、たまに酔客が飲み終わった後に外で大声で談笑している声が聞こえたりしますが、日曜の夜にゴミを出しに出たりすると、街は静まりかえっています。

そんな中でも特に静かなのはもちろん夜明け前。新宿とかの大都会でもさすがに静かな時間帯ですよね。その分、趣深い時間帯でもあります。この前たまたまトイレに起きた時は、外から新聞配達と思しきバイクの音が聞こえてきました。静寂の中にただ聞こえるバイクの音。それも、騒々しいバイクじゃなくて、休みもほとんどなく真面目に働く、どこか遠慮がちなエンジン音。こんな時間に目が覚めちゃってと、自分の体を恨めしく思ったりもしたのを忘れ、せっかくのこの朝の情景を楽しもうと思い直し。

東南向きのベランダに出てみると、夜の帳からちょうど太陽が出てこようかという気配。月と太陽の選手交代。取るものも取りあえずカメラを引っ張り出して、生まれそうな太陽を激写。

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また、はるか昔、若い頃は、時として金曜や土曜の夜が明ける時間。朝まで飲み明かし語り明かした満足感と酒の余韻、また流石の倦怠感や眠気と、少しの後悔が入り混じった感情で、最寄りまでの電車を待っていた時間。この歳ではもうそんな飲み方はできないよなあと思いつつ、ちょっとだけそれくらい羽目を外してみたかったり。コロナでの規制がなくなったら、限界までチャレンジしてもいいかもしれませんね。

早朝5時。あるときは、ソフトボールの試合のために起きてた時間。電車で1時間くらいかかる所で試合するチームに入っていたことがあり、朝の第一試合なんかになると、試合開始が8時。アップのための集合が7時。ということで家を出るのが6時。となると朝起きるのが5時。そんな生活もありました。支度をしながらテレビをつけても、テレビショッピングとかしかやってなくて、夜感満載。

この前は地元のチームでの試合だったので、そこまで早く起きる必要はなかったのですが、やはり早朝に目が覚めてそれから眠れなかったので、テレビショッピングをぼんやり見ながら過ごしました。私の場合、ソフトボールには早朝のテレビショッピングがつきものなのかな。

禅的生活を送ろうと思ったら、早朝5時くらいに起きるのがいいのかもしれません。起きたら血圧を測り、トイレを済ませたらまず坐禅を組み、それから散歩でもして、栄養バランスの取れた朝食をゆっくり食べ… こういう生活にはずっと憧れています。しかし叶ったことはありません。唯一、高校生の時、寒稽古があった時期くらいでしょうか。今は、早朝5時に運よく目が覚めても、また寝ることしか考えられません。起きてる時の決意も、寝起きの自分には無力ですね。

処罰感情に流されて、ざまぁとは思ったものの

先日、東京の立川駅日野駅の間で、撮り鉄が線路に侵入して電車を止めてダイヤが乱れるという事件がありました。影響を受けたという人もたくさんいましたし、ニュースになったり動画で上がったりしているので、ご存知の方も多いと思います。私の友人も、このせいで乗っていた電車が止まって困ったそうです。この事件ではずいぶん批判の声が上がりました。あ私も御多分に洩れず、このように、人に迷惑をかける輩というのは嫌いですし、動画の中や掲示板での身勝手な言動には憤りを覚えます。

で、たまたま昨日Twitterで、またそういった撮り鉄の狼藉を見てしまったものですから、頭に血が上ってしまい、その後、Twitter上の、撮り鉄を批判、罵倒するツイートに片っ端からイイネするなどしていました。大半の撮り鉄はルールやマナーを守るんですから、とか、知ったことじゃありません。

そこで知ったのですが、わざと電車の前を車で走ったり、電車の窓から顔を出したりして、撮影の邪魔をするという勢力もあるということ。そうでなくても、偶然車や人が映り込んでしまって撮影が台無しになり、撮り鉄たちが怒声を放つ、といった動画がいくつもあることを知り、これは痛快、ざまぁと思ってしばらくあれこれ見ていました。

しかし振り返ってみると、こういうネガティブな感情で時間をダラダラ費やすのって、なんかとっても無駄なような気がしました。以前にも、いわゆるDQNや変なクレーマーを撃退したという体験談の動画を延々と見ていたこともあるんですが、こういうのって延々と見ちゃいますからね。

確かに、撮り鉄DQN、クレーマーといった、人の世に害なす連中が痛い目に遭うのは痛快ではあるのですが、他人が不幸になるのを見たいという欲求のもとの行動に貴重な時間を費やすというのはなんとも。例えば自分の目の前にそういう不埒な輩がいたとしたら、その悪事を止めるというのは必要なことだとは思いますが、自分と全く関係ないところまで見に行く必要はないというか、最初っから目に入れずにいた方が、精神的には健全ですし、その分、自分を高めたり、必要なことをしたりする時間に当てた方が合理的というものです。

まあ、強いてよかったことを挙げるとすれば、このような狼藉に対する対処方法の例を学ぶことができた、ということですかね。とはいえ、願わくば、世の中から変な人がいなくなって、このようなノウハウを使う必要がなくなることを祈ります。

飲み友達の送別会

昨日は久しぶりにお店でちょっと一杯やりました。久しぶりに会う飲み友達もいて、時短営業中とはいえ、和気藹々で楽しく飲むことができました。昨日はいませんでしたが、飲み友達の中に、アメリカから来て日本で仕事しているアメリカ人の女性がいます。彼女が今度アメリカに帰ることになったということで、送別会をやろうという話になりました。

貸し切りにして、会費制でお酒とかも持ち寄りにすることになりました。私も、腕によりをかけて惣菜を作って差し入れするつもりです。大きなお店だとそういうこともできないと思いますが、個人経営の小さな小さなお店なので、小回りがきくというか、柔軟性があるんです。楽しく笑顔で送り出してあげるつもりです。

彼女は、特に生活に不自由しないくらいには日本語も喋れるのですが、やっぱり頭を余計に使うので、母国語でスラスラと喋れる相手が欲しいと言っていました。なので、たまに、英語ネイティブの外国人がお店に来ると喜んでいました。そりゃそうですよね。私も外国に行って、たまに日本語が通じる相手に会うとホッとしますもん。私も彼女と接するときはなるべく英語で会話するようにして、私も英会話能力のブラッシュアップを図っていました。おかげで?彼女からもある一定の評価をいただけました。でもまあネイティブとは全然違いますよねー。

さて、そこで考えるのは、送別会に何を作って持っていくかであります。10人弱の人が来るので、それなりの量作る必要があります。そうしたら、なんか大きな鍋て煮物でも作って、と思ったけど、狭い店なので、その鍋を店のどこに置くかという問題があります。大きめのタッパーをいくつか買って、それに入れて持っていくかなあ。あとやっぱり冷えたら良くないかもしれないな、でももし店におけるスペースがあるのなら、店のコンロで温めてもらえるかな、とか、色々考えます。

旅行じゃないですけど、こういうことを色々考えているときって、悩ましいけどこれまた楽しいもので。実際にはお別れなので寂しいはずですが、楽しい送別会になりそうなので、裏腹にワクワクしている私もいます。

彼女含め、飲み友達との縁は、酒場以外では全く会うことのない、酒の席だけでの縁ではありますが、こういうときにすぐに話がまとまって(みんなただ飲みたいだけかもしれないけれど笑)、送り出してあげようとなる人情の温かさというのは好きです。逆に、年中一緒にいないほどほどの距離感がいいのかもしれませんね。距離感を間違えることなく、これからもこの縁を大事にしていきたいと思います。

 

プロ野球の見方の変遷

子供の頃からプロ野球が好きで、その中でもなぜか広島東洋カープが好きで、アラフィフの今までずっと応援しています。しかし最近はその熱みたいなのが弱くなっているのをひしひし感じます。広島にいた時代は市民球場でワイワイ応援していましたし、東京に来てからも神宮球場や東京ドーム、交流戦の時はメットライフドームに応援に行ったりしていたんですが、最近は球場に行くことはあっても、応援じゃなくて観戦、見物といったニュアンスが強い気がします。

なんでこうなったのか考えてみますと、やはり2016年からの3連覇が大きいような気がします。一生懸命応援して、自分の目の黒いうちに、日本一とはいかなかったものの優勝を目の当たりにすることができた。前回の優勝は私が高校生の時だったし、大人になってから優勝の歓喜を味わえた、それでもう燃え尽きた、というような感じはあります。

また、勝った時はいいとして、負けた時に苦労して気を鎮めるのに疲れてしまったというのもあります。SNSを見れば目に入る罵詈雑言も、書いてる本人はいいのかもしれませんが(まあ、罵詈雑言を書いても気が晴れるとも思えませんが)、見てるとさらにイヤーな気持ちになるものですし、それならもう、ちょっと距離を置いてしまおうかと。それで、SNSカープ関連のグループはやめてしまいました。また、元々、ソフトバンク以外の球団はどこかの段階で敗退、という形でシーズンを終えるわけですから、それに対する諦観みたいなものもあるかもしれないですね。

ただ、それで、プロ野球から離れたわけじゃなく、全体をくまなく見るようになりましたね。これまでは贔屓のチーム以外の、主力以外の選手についてはほとんど知らなかったんですが、贔屓のチーム以外の試合も見るようになって、色々な選手の情報を知ることができるようになりました。それに合わせて、Number Webとか、いろんなオンライン記事をクリップして読むようになって、勝った負けただけにとどまらないストーリーをたくさん目にして、これまで以上に、逆にプロ野球が面白くなったとさえ言えるかもしれません。

とはいえ、カープを全く応援しなくなったという訳ではありません。もちろんカープには勝って欲しいです。ただ、繰り返しになりますが、前ほど熱狂的になれないなと。負けた時のための心理的逃げ道を作っているだけのような気もしますし、単純に老化したのかもしれません。そこら辺は分かりませんが、老化のためにいろんなものへの情熱とか、掛け値ない楽しみとかが失われてしまうのだとするならば、それは寂しいことですね。まあ、私よりだいぶん年上の人で、とっても熱いファンの知人もいるので、その人の存在は頼もしいです。

芸術は人を笑顔にできる

先日、昔すごく好きでよく聴いていた曲を久しぶりに引っ張り出して聴きました。曲自体の良さも色褪せてないし、なんかよく聴いてた若い頃の色々なことを思い出したりして‘、しみじみいい気分になり、気が付いたらニコニコ笑顔になっていました。

また、先日友人の経営している店に飲みに行き、他のお客さんと話したりしているときに、私の撮った写真の話になり、自分のお気に入りの一枚をその人に見せたら、お酒が入っていることもあるかもしれませんが、その人の顔がみるみるほぐれて、ニコーっと笑顔になったんですね。これまで、おおすごい、とか、いいねー、といった、驚いたような反応というのは見たことがありますが、みるみる笑顔になるという反応は見たことがなかったので、なんか妙に嬉しかった覚えがあります。

最初に書いた、私がその曲を聴いたときの反応も、その人の反応と同じようなものだったんだと思います。すごくいい(、というと自分の写真に対する自画自賛がすぎるので、ドンピシャですごく気に入った、と書いた方が適切でしょうか)ものに出会うと、人は自然と心がほぐれて笑顔になるのかもしれませんね。

確かにそう考えると、よく写真を見てもらっている老婦人がいるのですが、その人も、最初は驚いた後に、笑顔で嬉々として感想を述べてくれます。そして、心が和むとか癒されるとか言ってくれます。写真を撮るときはそれほど考えずに、美しさを追求して撮っているのですが、その結果として、人を笑顔に、ひいては、ひとときでも人を幸せな気分にできるのなら、それは本当に嬉しいことですね。そういう時の笑顔は、幸せな気分から溢れ出てくるものでしょうからね。

このように、音楽や写真、または絵なんかもそうでしょうが、こういう、人を幸せな気分にするというのは、芸術のもつ意味の一つなのかもしれないと思いました。もちろんそれだけではなくて、自分の思いを主張する手段とか、哲学的な表現とか、色々な意味もあるのでしょうが、私みたいな半端者の表現する芸術には特に、そういう側面もあるのかもしれないなと。

今は美しい自然の写真やポートレート(これはまだ練習の段階で、無料でモデルになってくれる人を募集しているところですが)ばかり撮っているので、人を喜ばす側面というもののウェイトは大きいはず。そこら辺を自覚して撮るように、まず、自分が見て笑顔になるかどうかなんてことも考えながら、撮っていけたらと最近は思っています。