無頓着な松のショートエッセイ

いろんなことに無頓着な著者が、なんとなく思ったことをエッセイ風に書き連ねる雑記ブログです。何か感じるところがあったりしたら嬉しいですが、気軽に読んでもらったらと思います。


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長期帰省をしました。

すごく久しぶりの記事になりますが、人生で大きな動きがあったので。

各種SNSでは公言していますが、今年の7月末から10月半ばまで、福岡県の実家に帰省していました。仕事はフルリモートのため、パソコンを持って行けば、実家でも問題なくやれたんです。

何しに帰ったのかということですが、きっかけは、父の一周忌&初盆供養の法事のためですが、それだけなら約2か月半も滞在する必要はありません。ここのところ帰省と言っても極めて限られた日数しかしておらず、ちょっとゆっくりしたかった、というところでもありますが、主目的は、将来的に実家に移住するとした場合の生活シミュレーションでした。市部とはいえ東京都内の現自宅と、福岡県とはいえ山間部の実家では、生活は全く異なることは目に見えているので。

そもそも、地元に帰る意向はずっと持っていました。そのためにあれこれ考えたことをこのブログに書き連ねたこともありました。しかし地元で生活していく術が思いつかず、ほぼ諦めていたときにやってきたコロナ禍、そしてリモートワークの普及です。このおかげで、というと不謹慎ですが、地元に住んでいても仕事をして食っていける希望が出てきました。

ちょっと昔話をしますと、子供のころから勉強が得意でした。勉強以外には特に取柄はない子供でした。体力があるわけでも、要領がいいわけでもありません。勉強ができるということで、周りからは一目置かれていたことはあるかもしれませんが、そういう意味で、自己評価は決して高くありませんでした。そして、自分には大学に行って、学問を生かした職で食っていくしかないと思っていました。それと同時に、そのためには、大好きな地元を離れざるを得ないと思っていました。自分はここが大好きだけど、ここでは生きていけないと諦めていました。

無事大学に入学、物理学を修めて卒業し、せめて帰省のしやすい九州の企業に入社したいと思って入社試験を受けましたが不採用となり、唯一採用してくれた東京の会社に就職しました。決して、都会にあこがれてとか、より高いレベルで揉まれたいとか、前向きな理由で東京に来たわけではありません。人混みは今でも好きじゃありません(そういう意味では、今住んでいる郊外の地は、それはそれで住みやすくはあります。実家とは比べ物にならない程度の便利さはありますし)。

ということで、地元を離れて30年になりますが、帰りたい気持ちは常に持っていました。繰り返しになりますが、ただただ、地元で自分の能力で働いて生活できる見通しが立たなかった、自分にその能力がなかった、それだけです。そんな私でも、30年の間に身に着けたものを、地元でも使える環境が幸運にも整ってきた。このチャンスを活かさない手はない、そんな風に考えたんです。

で、その2か月半実家で暮らした感想ですが、特にストレスは感じませんでした。法事では、田舎暮らしでよく言われる、濃密な人間関係や儀式的なところをもろに受けましたが、地元を出る前からその辺にはよく首を突っ込んでいましたので、村内の人も気心知れた人ばかりで、各人との間の30年のブランクも一瞬で埋まり、何の問題もなく溶け込むことができました。補助的な役割ではありましたが、そこらじゅうの家の稲刈りもやりました。暑くて参りましたが、作業自体はやりがいを感じ、充実していました(軽トラ運転で、マニュアル車の運転を久しぶりにしましたが、無事運転できました笑)。

そんな感じで、親戚も、近所の人も、旧友も、そして親も温かく接してくれましたし、正直なところ、気持ちはUターンへ大きく傾きました。母も、お前なら、地元の人とのコネクションもあるし、地域のどこに何があるかも結構分かってる、行事的なことにも抵抗がないし、田舎マインドがあるから、やっていけるんじゃないかなという評価をいただきました。

母には、良いことをすれば褒められ評価されたし、悪いことをすれば叱られましたが、49年生きてきて、この評価が一番嬉しかったかもしれません。

ということで、すぐにとはやっぱりいきませんが(今の家をどうするかというのもあるし)、そのための準備だけでも進めていこうと思っております。この件については、今後もいくつか記事を書いていこうと思います。