無頓着な松のショートエッセイ

いろんなことに無頓着な著者が、なんとなく思ったことをエッセイ風に書き連ねる雑記ブログです。何か感じるところがあったりしたら嬉しいですが、気軽に読んでもらったらと思います。


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車椅子で電車に乗ると、やっぱり肩身の狭い思いをするケースがありますね。

先日、車椅子の人の電車乗車について、こんな事を書きました。場所や席を譲る側も譲られる側も、自然に、フランクに振る舞えればいいね、という趣旨です。

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しかしこないだちょっと辛い場面がありました。私が乗車した時間帯は、いつもはそんなに混んでないのですが、その日はダイヤ乱れの影響でかなり混雑。私が乗車した次の駅で車椅子の人が乗ってきたのですが、専用スペースもなく、混雑していたので、どうにか入り口のところに押し込んで出発。

そしたら、私が降りる駅で、その車椅子の人がいる側の出口が開いて、車椅子が思いっきり出口を塞ぐ状態に。私を含め降りる人結構いたので、なかなか降りられずちょっとした混乱になりました。普通だったら出口付近の人は一旦降りて道を開けるところですが、車椅子なので降りられない。その時は車椅子の横のわずかな隙間を通ってみんななんとか降りられたのですが、その間の車椅子の人の申し訳なさそうな表情が忘れられません。そりゃあ、気まずいですよね。どうしようもないこととはいえ、自分が塞いじゃってるんですから。

その時は隙間がなんとかあったし、誰も責める感じではなかったのですが、人によっては心無い言葉を投げる輩もいるかもしれません。混雑している電車に乗るとこんな思いをするんだとなると、電車に乗る事への心理的障壁はまた高くなり、健常者の車椅子を見る目は厳しくなり、冒頭で私が言ったこととは反対の方向に流れてしまうことになるんでしょう。

しかし降りる側としてはストレスがあったのは事実。こういう時って誰がどうすればよかったんでしょうか。とりあえず私の立場としては、結果的に降りられたんだから、降りる時のストレスはさっさと忘れるというのが、現時点で私のできるベストだったと思います。そう、済んだことは気にしないというのは結構重要だと思うのです。

もちろん、システム的に改善できる点は積極的に改善していく必要はあると思いますが、その場に居合わせた当事者としては、結果的に問題なかったんだからそれでいいじゃんという考えがもうちょっとあっていいのかなと思います。特に他人に対してなんらかの感情を持つ時って、もっと大らかになれないのかなと思う時があります。

と、脱線しましたが、車椅子の人が気楽に電車でどこにでも行けるようになるためにはどうしたらいいんでしょうね。いろいろなケースで問題が発生するので、難しいところですよね。