前回の記事で、一回ラッキーな事があったら次にいいことがあると考えるか悪いことがあると考えるかなんてことを書きましたが、基本的に完全に悪いことってそうそう無いと思います。事故に遭って命を落とすとかそういうレベルになると話は別ですが。
話は私が大学受験のために勉強していた頃のことになるんですが、何かの折に、母が、もし受験に失敗して浪人とかすることになっても、それは、神仏が、そうしなさい、それが一番あなたの為になるからと言っているということだ、ということを言ったんですね。当時私も似たようなことを考えていて、それで随分気が楽になったように思います。受験に臨む自分が、失敗しても神仏の思し召しなんて言うのは甘えに繋がりますが、周りもそういう考えなんだと思って。
この考え方は、今では自分を甘やかすんじゃなくて、一見悪いように見えることが自分に起こった時に、言い聞かせるようにしています。何か嫌なことがあっても、それは自分には必要なことなんだという。ただ、その悪い出来事をどのように活かすかはよく考えないといけないところですね。対応を間違えるともっと悪い方向に行く可能性だってありますもんね。
そこで今回のコロナ禍ですが、これだって、罹患されたり、特に亡くなられた方は本当に気の毒ですが(特に、ファンだった岡江久美子さんの訃報は痛恨の極み)、これによって、個人的にも、企業や社会としても、今後の同様の疾病予防や、今後のあり方についての指針みたいなものが得られたところもあったので、コロナが流行って良かったとは絶対に言いませんし、コロナを憎みますが、それでも得られたところはあったわけです。まあ、多くの人の命を奪ってまで得なきゃいけないものだったのかというのもありますけどね。
と、コロナウイルスについては死者も多数出ているので、デリケートな問題になりますが、今まで自分に起きたいいこと悪いことについては、そのような受け止め方をしています。無駄なものはない、全ては自分の活かし方次第、と言ったところでしょうか。