2018年9月26日、プロ野球広島東洋カープがリーグ3連覇を果たしました。実を言うと私は長いことカープファンをやっておりまして、一時の暗黒時代から考えると今の強さが夢のようです。何にでも栄枯盛衰はつきものですが、今の強い時代を、自分の元気なうちに共有できて嬉しい限りです。クライマックスシリーズ、日本シリーズも勝ち抜いてほしいです。ということで、私とカープの思い出話などを今日は書いていきたいと思います。
そもそも九州生まれ九州育ちなのになんでカープファンになったのかというと、はっきりしたことはよく覚えていません。新聞で球団名一覧を見て、一つだけ地名だったのが珍しかったとか、ライオンズが去ってホークスが来る前の時期だったので、広島が本拠地の中では福岡から一番近かったとか、せいぜいそんな程度で、この選手のプレイに惹かれたとかいう深い理由は無かったはずです。
先にもちょっと書きましたが、その頃はホークスはまだ大阪のチームです。で、ライオンズは埼玉に移転した後ではありましたが、私の周りではライオンズファンが多かったです。1986年にはカープとライオンズが日本シリーズで相まみえるのですが、カープファンなんて周りにいないから、肩身が狭かったですねえ。しかも、引き分けの後3連勝して4連敗というさんざんな結果だったわけで、余計に悲しかったです。
中学生の時、何かのご褒美かなんかで、父親に広島市民球場に連れて行ってもらい、初めてプロ野球を生観戦しました。プロ野球もそうだし、ナイターも初めて。そもそも野球場が初めて。そして新幹線も初めてという初めて尽くしの旅で、新幹線では1時間くらいの移動時間ではありましたが大興奮でした。初めて見るプロ野球は凄くて、おおー、すげー!大ホームランだー!と思って見た打球が平凡なレフトフライだったり、そのスケールの大きさが印象的でした。なお、試合は12-0で阪神に大勝。小早川毅彦選手の2本のホームランに、金石昭人選手の完封勝利と、大満足な試合でした。勝ったのもそうですが、雰囲気がとても好きになり、プロ野球観戦というのが一つの夢になったのはこの頃です。
高校時代は1991年にリーグ優勝。この頃は自由になるお金や行動範囲もある程度ありましたので、週刊ベースボールとか買って読んで、かなり知識もついており、優勝という事実が嬉しかったし、日本シリーズの結果や内容も気になってしょうがありませんでした。当時は日本シリーズはデーゲームだけだったので、リアルタイムでは見られなかったんですよね。まあこのときもライオンズにやられたわけですが、それでもとても楽しかった。
で、プロ野球観戦、カープ応援がしたいという欲求は育ち続けており、ついに広島の大学への進学を決意します。ただ、進学した大学があんまり交通の便がよくないところで、観戦に行くのは結構大変でしたが。でも、授業終わってフラッと球場に行けるという、中学生の頃の夢が叶った生活は幸せでした。テレビつけてもカープカープだし。ちなみに、在学中にサンフレッチェ広島がJリーグ初優勝を遂げ、そのときの盛り上がりのおこぼれにも預かりました。