無頓着な松のショートエッセイ

いろんなことに無頓着な著者が、なんとなく思ったことをエッセイ風に書き連ねる雑記ブログです。何か感じるところがあったりしたら嬉しいですが、気軽に読んでもらったらと思います。


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善行はひっそり行うもの

妻は気づきがいい人です。ここで言う気づきというのは、服にシミがついてるとか、体に埃がついてるとか、そういったことです。すぐに見つけて指摘してくれるので、外に出て恥をかかずに済み、感謝しています。

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しかし、私が気になっていた家の床のちょっとした埃とかを掃除機で綺麗にしたとかいうのには全く気づいてくれないのです。それでたまらず掃除機かけた事を告げると、そのときにようやく気づいて感謝してくれるのですが、普段の気づきの良さはどこに行ったのかとおかしくなります。

しかし本当は、妻が気づこうが気づくまいが、家が綺麗になったことだけを喜ぶべきで、感謝してもらおうとか、褒めてもらおうとかいうのは完全に煩悩の類いですよね。まさに無功徳。でもやっぱりちょっと褒められていい気分になりたい気持ちはまだまだ消えません。修行が足りんということですね。

ここで誤解して欲しくないのですが、感謝されたい、褒めてもらいたいと言っていますが、妻が感謝とかしない人であるということでは決してなくて、私の貢献に気づけば感謝してくれます。料理したときとか、食事の後片付けをしたとか、そういうはっきり分かるときですね。だから妻に悪気は全く無く、単に気づいてないだけなのですが、そこで自分から「ほらほら掃除したんだよ」的な事を言っちゃうのが私のダメな所です。

 あとまあもうちょっと言いますと、掃除なんてのは仏教的には修行なわけで、それが評価されるようなもんでもない、また、掃除自体は善行ではあっても、布施の考えから言うと、部屋を綺麗にするという徳を積ませてくれてありがとうとこちらが感謝すべきところで、何か感謝や褒め言葉をもらおうと思う方がやっぱり間違いなんであります。

ということで、別に僧侶になるつもりはなくても、少しでも仏教的な考えに近づきたい自分としてはダメダメな感情を持ってしまっているのですが、ここで気づいて、今自分はこういう段階にあるということを認識しておくことには意味があろうかと思います。なので、自分を責めるんじゃなくて、ただただ今の自分のあるがままをよく見ようというような感じです。

まあそれはそれとして、部屋の埃はずっと地味に気になっていたので、それを綺麗にできて、ついでにいろんな所を綺麗にできたのは、それ自体には大いに満足しています。