無頓着な松のショートエッセイ

いろんなことに無頓着な著者が、なんとなく思ったことをエッセイ風に書き連ねる雑記ブログです。何か感じるところがあったりしたら嬉しいですが、気軽に読んでもらったらと思います。


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コンビニで我が仏道を見返してみる

休日の昼下がり、お腹が空いたので、コンビニで何か買おうと思って、商品を取ってレジに並びました。そのコンビニにはレジが2つあって、どちらもかなり時間のかかる処理をしていたんです。

こんな時、普段の私ならイライラ爆発です。心の中で、レジの前にいる客にあらん限りの罵詈雑言を投げかけ、心は怒り狂っていたと思います。

でも最近は、仏教の心を学びだしてそこら辺少し成長したように見え、これはよく仏教の本なんか読んでいたら出てくるのですが、「怒りや苦しみが出るのは、自分の希望に状況が沿わないというだけで、そんなん普通」みたいな考えができるようになりました。思ったようにならなくて当たり前、という考え方ですね。

ただなんだろ、そうやって思えることはいいんですけど、結局怒っている自分にそうやって言い聞かせているだけで、本質は何も変わってないんじゃないかって思ったりもして。あと実際問題お腹が空いてるのを我慢させられているわけですし。

でも、そういうところまで考えるのも仏教というものなのかなという気は、勉強しているうちにしてきています。これもよく見るんですが、自分が今人のためにこれこれの良い事をした、と思って満足するのも、それは自分のためであって、真に人のためを思ったことなのか、みたいな問いとか。

だから、「物事上手く行かないのが当たり前」と思って、「これが仏教的な考え方だ」というところで考えが止まらなくなったというのは、少しだけかもしれませんが‘進歩かもしれませんね。

進歩したのかなという風には思いつつ、そんなことまで考えてしまう仏教なので、どこまで行けばいいのかと先を見ると途方も無いことになってしまいます。それこそ最終的なゴールは、なんて言っちゃったら「悟り」なんてことになっちゃうんでしょうしね。

ただ今回の場合、「上手く行かないのが当たり前」と自分に言い聞かせたことで、後々に不機嫌な気持ちが残らなくなったのは事実。この調子でいろいろ取り入れて、心穏やかに生きられるよう、足るを知れるよう、やっていきたいと思います。