毎日ではありませんが、夜寝る前に坐禅を組んでいます。最近まで10分だけだったんですが、慣れてきたので15分に伸ばしました。できたら朝も坐りたいのですが、朝はなかなかまとまった時間が取れなくて、坐れないことが多いですね。
もともとなんで坐禅を始めたかというと、仏教に興味を持っていて本を読んだりして親しんでいるのもそうですが、何と言っても心に平穏を与えること。はっきり言って坐禅でも組んでないと、スマホだテレビだと心がせわしなく動いているので、果たしてこれでいいのだろうかと思ったのが発端なんですね。私にとってデジタルデトックスには坐禅しかなかった、という感じです。
なので、最初は坐ってても心は静かではいられず、いろいろ考えが浮かんで、消えてくれなかったのですが、それでもデジタルデトックス的には意味があった。今は割と上達したのでしょうか、結構淡々と坐っていられるようになりました。そうすると、終わった後に気分がスッキリするんですね。これはなんとも言えない気持ちよさであります。
でも、これはどうなのかなと思うのが、坐っている最中、仕事のアイデアとか、この先こう進めたらいいんじゃなかろうかというような考えがポンポン出てくることがあることです。多分集中力が増してるからだと思いますが、個人的にはできれば坐ってる間はそれすらも考えたくない。考えるべきじゃないんじゃないか、と思ったりします。
それでもそのとき考えついたことは、翌日の仕事には有用で、これを考えるなというのも勿体ない話。実際、坐禅をビジネスにおける集中力向上ツールとして使っている人たちもたくさんいるわけですし、悪いことではないのでしょう。
坐禅の意味とは何か、自分は坐禅に何を求めていたのか、求めたものは得られているのか、そもそも何か求めていたのか、求めること自体間違ってるんじゃないか、そんなことをいろいろ考えます(坐ってないときに)。また、それが坐禅の目的じゃないとはいえ、仕事のアイデアとか、そういうのが得られるというのは、有難く受け入れて良いものなのかどうか、考えが仕事にとらわれているわけだから良くないのではないか、そんなことも考えます。
とまあ坐禅がよく分かってないゆえにゴチャゴチャと考えてしまうわけですが、そこらへんのことも、何度も坐って、何度も自分を見つめているうちに、なんとなくストンと腑に落ちて来そうな気がします。
だから、私は今日も坐ります。