無頓着な松のショートエッセイ

いろんなことに無頓着な著者が、なんとなく思ったことをエッセイ風に書き連ねる雑記ブログです。何か感じるところがあったりしたら嬉しいですが、気軽に読んでもらったらと思います。


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坐禅上達のために

10連休も終わりに近づいてきました。休みが終わる恐怖感みたいなものもありますが、もういい加減仕事に戻ってもいいよなっていう気持ちもあります。流石にねー、これだけ休むとねー。仕事は嫌いじゃないし。


そんな中、生活リズムも乱れがちではありますが、できる限り朝晩の坐禅は組んでいます。でも全然上手くならないというか、頭の中をクリアにできないんですよね。坐っていたらいろいろ考えてしまうのは普通のことなんですが、それを上手いこと流していくのが必要なんです。でも私の場合、一旦なにかが思い浮かぶと、流すことを忘れてそのことをがっつり考えてしまっていることが多いです。それか寝ちゃうか。


たまに上手く頭をクリアにして坐れたときは、終わったあとすごく心身ともにスッキリした感じになるので、この快感を覚えちゃうと坐るのはやめたくないし、毎回こういう感じになりたい。でも何度やってもそのような状態にはなかなかなれないですね。何度も繰り返して訓練していけばできるようになるのでしょうか。


そこで、どっかにヒントはないかとネットでいろいろ坐禅について見ていたんですが、曹洞宗千手院さんのサイトで、「なにも考えないことを強制するものではない」「なにも考えないようにと考えている時点で無ではない」「色々なことを考えている自分をまずは受け入れる」というようなことが書いてあって、これはと手を打ちました。


特に、「考えている自分をまずは受け入れる」ということ。このブログでも、酒を飲みたいと思った時に、「ああ、自分は今酒を飲みたいと思っているのだなあ」と客観視することで、飲酒欲求をやり過ごすというようなことを書いたことがありますが、それに通づるものがあるのかなと思いました。


自分を遠くから客観的に見て、「ああ、自分はこれこれについて考えているなあ」と思うことで、飲酒欲求みたいに気づいたらどこかに行っていてくれるかもしれません。ただそれだけでも、坐禅という状況の中で簡単にできるかというと疑問ですが、まずはやってみようと思います。


坐禅がうまくいくと、夜だったら寝つきも良くなるし、朝だったら仕事に向けて頭がスッキリするし、ぜひ上手くなりたいです。